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「もう、どうにもならないこともある」と言う、受け入れ。

12 Aug 2015

最近SUPにハマっている。


ビーチからエントリーして、大海原にたゆたっていると
広い広い地球の中の 自分の小っちゃさを知る。


波にゆらゆら、揺られるがままに浮かんでいると
自分がどんなにあがいても、もがいても
どうにもならないことがあることを気付かされる。
・・・というか、見せ付けられる。


「あぁ、もうわたしの負けです」と、言わざるを得ない
圧倒的な感じ。


ちょっと重心がズレれば、途端にボードから落ちてしまうし
逆に深呼吸してココロが静かになると、不思議なほどボードも動かない。




もう、まったくもって、そう。そういうことなんだ。




そういうことなのに、わたしは
「努力でどうにかなるんじゃないか!」ともがき
誰に言われた訳でもないのに、勝手にどつぼにはまって
息ができないくらい苦しくって、苦しくって。


「誰か助けて、わたしを救って」って声を出そうとも、出てこない。


もうどれだけそんな日々が過ぎていっただろう。


ある時SUPでyogaをしていると、優しく光が舞い降り
わたしを包み込み、わたしの痛い部分をくるんで
海に流していってくれた。


たぶん、かなり妄想だけど、そういう感じ。




あぁそっか。
どうにもならないんだ。


へー、あー・・・なるほどねー。




その瞬間から、わたしの中のちくちく痛んでいた異物が
わたしの一部に、完全になった。


受け入れるって、いっちばん難しい。でも一番の愛情表現だ。


それは【他人のことを受け入れる】でもそうだけど
【好きになれない自分を受け入れる】こともまた、
自分への最上級の愛情表現。


「こんなはずじゃないのに!」
「こうなりたい訳じゃない!」


そんな自分の、そんな環境も
時としてどうにもならない時がある。


それは努力でも、根性でもなく
それはもうすでに決まっていることで。


諦める訳じゃなくって、受け入れる。
「もうお手上げです。その通りです」みたいな。


アルケミスト風に言えば「マクトゥーブ」。
《それはもう書かれている》ことな訳で。


でも、じゃぁ今までのもがいたことが無駄だったかと言うと
まったくそんなことなくって、それもすでに書かれていたこと。
すべてが今へ繋がる道で、すべて意味がある。


スマートに近道を選べないわたしは
もう、どうしたって、もがいて、悲しんで、涙の1つや2つくらい流さないと
辿り着けない。


でも、今は。
そんなわたしでも好き。


今は、そんなわたしを受け入れてる。


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