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モノがあるということ
08 Jan 2013
旅を始めたとき驚いたのは、思っていた以上に世界中で
インスタントヌードルが一般的になっていて、人々がケータイを持っていることだった。
町外れの商店でもインスタントヌードルが置いてあったり
どんなに貧しそうな人でも、ケータイを持っていたりした。
私が想像していた以上に世界は発展していた。
* * * * * * * * * * *
in Cuba
ある日私は、メキシコで買って来たインスタントラーメンを開けた。
隣にいた宿の少年はそれをもの珍しそうに「それって食べ物?」と聞いて来た。
キューバに来るまで、旅の最初に驚いた世界の発展ぶりへの驚きはもう忘れていて
どこの国でもインスタントヌードルとケータイは一般的だと思い込んでいた。
※ 新しい車はなかなか手に入らないので、ハバナの街では
いつもどこかで車の修理をしていた。
聞き間違えたかと思い隣を向き、彼の目を見た。
その目は純粋に、初めて見るものへの興味の目だった。
少年は続けて
「ねぇ、ケータイは持ってる?」と聞いてきた。
「旅行中だから持ってないよ。」と答えると、続けて
「じゃぁ、ゲームは?」と聞いてきた。
今や、日本でなくても子供のうちからケータイやゲームは誰でも持っているような世の中。
けれども彼らにとってそれは、クリスマスにお願いするような、
夢をみるようなものでもなく
まるで実在しないかのような存在なんだと感じた。
私はとっさに「ごめんなさい!!」と心の中で叫んだ。
※ 建物が古ければ、もちろん設備も古い。
エレベーターが止まってしまわないかと、乗るたびにハラハラ。
6Fのボタンが「S」。
でも、見れば6Fだと分かるので問題はない。
キューバ。
この国は新しいモノがあまりない。
欲しがったり、羨ましがったりしないのは
それが自分と違う世界のものだと無意識に感じているからなのではないかと思う。
けれども、例えばそれが隣の席の○○くんが持っていて
前の席の○○ちゃんも持っていたら、途端にそれは羨望の対象になるんだろう。
人と比べ、羨み、時に妬む、誰しも持っている心の一面は
並列の社会には生まれないんじゃないかと、キューバに来て思った。
それくらい、みんな一緒。
新しいモノはないけれど、新しいモノがないのは誰か一人でなくって、みんな一緒。
みんな一緒だから、羨ましがる心が生まれにくいんだと感じた。
※ 市場のようになっていたのでのぞいてみたけど、
想像通り、食材は少なかった。
手作りのソースだろう、何度も使い古したペットボトルに
パックされていた。
○○ちゃんはクリスマスプレゼントにあのおもちゃを貰った!とか
○○くんはお正月にハワイに行った!だとかが起こりにくい。
だから、人と比べない。羨まない。
そこにケータイやパソコン、デジカメ…。
キューバの人が持つことのない電子機器を旅行者が持ち込み、見せてしまうこと。
そういう存在があるということを知らせてしまうこと。
キューバの人たちはどう思うのだろう。
ゆっくりゆっくり歩んでいるキューバのリズムに
それまでと違った風を吹かせてしまうと言うのは、どういうことなんだろう。
考えれば考えるほど頭が混乱して、2011年最後の日、
私は熱を出して寝込んだ。
熱くなった頭を冷やすように宿の窓から外を眺めると、
段ボールや発泡スチロールを楽器に見立てたモノを賑やかに叩き、
マーチしながらケラケラと笑う子どもたちがいた。
※私が感じたキューバを、ココロが感じたままに綴っています。
知識不足ゆえに、時に曲がっていたり、間違えていることもあるかもしれませんが
キューバの知識がない一旅行者の感想として読んで頂けたら幸いです。
あまりにも衝撃で感情的になっていたので、
私というフィルターが強いかもしれません。
キューバはいまだに、もう一度勉強しなおして訪れたい国です。
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