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走ることをやめてみたら
22 Dec 2011
限られた時間の中で、私たちはラスベガスから遠く遙か彼方のマイアミを目指していました。
ともなれば、その中で最大限行きたいところに行けるように
睡眠時間を削って、観光に徹する。
朝日・夕陽は当たり前。
星空の撮影もしたいなんて欲望も叶えようとすると、
もはや寝ている時間なんてまるでありませんでした。
レッドブルを相棒に、それでも尽きることのない 「 あれもこれも!」 欲を埋めるために
毎日クタクタになるまで走り続けました。
一度横になったら一瞬で眠れるくらい、毎日全力で走り続けたのです。
セドナは全米一美しいと言われている街。
ここセドナで私たちは、走るのを止めました。
なぜなら・・・ここは走る街ではなかったのです。
見るだけでもなく、感じる街。
だから私たちは走ることをピタっとやめました。
もちろん限られた時間は変わらずにそのままでしたが
二人で頑張ればどうにでもなる問題でした。
パワースポットと言われるこの街は、観光だけで通り過ぎてしまうには
あまりにももったいなさ過ぎる、本当に清い、キレイな街でした。
残念ながら凡人なので何を感じるワケではないのですが
ただ、いるだけで気持ちのいい街。
きっと、この 「 なんとなく気持ちのいい街 」 というのが人を惹きつける力なのだと
思います。
走るのをやめた私たちは、まず、いつもよりも周りの人たちとの会話を楽しみました。
そうしたらどうでしょう。
BBQのために欲しいと思っていた薪をいただくことが出来た。
( 買うとけっこう高いんです。実は毎日のようにBBQをしていたのですが
このアメリカドライブで私たちは幸運にも一度も薪を買わずに済みました。
欲しいと思ったときにいつも頂くことが出来ていたのです。
買っていたら100USD分くらいにはなっていたと思います。)
アメリカに来たら絶対買おうと思っていたインディアンデザインのお気に入りが
キャンプ場で出会った人から手に入った。
勧められたセドナ郊外の街で、探していたアンティークの食器を手に入れることが出来た。
見る見るうちに、欲しいものがすべて私たちのもとにやってきたのです。
「 走るのをやめた 」 のは間違えではなかったと、確信しました。
全速力の中にもリズムを持って、周りの風を感じられる余裕と
今、自分に何かを与えてくれる人からのサインを見逃さない心。
芯を持ちつつも柔軟に、柔軟に。
感じる、いつも必ずヒントが転がっているから。
これは決して難しいことではなく、感性を研ぎ澄ました時に
自然とついてくるように思えます。
こんなにも毎日が潤い、毎日が輝き、毎日が新鮮ならば
大切にし続けたい感覚だと思っています。
旅、それは私たちに大きな何かをもたらしてくれます。
人それぞれあるかと思いますが、私はこういった感覚もまた得たものの中の一つなんだと
思うのです。
同じことが起きても、人それぞれ感じることは違う。
同じことが起きても、昨日の私と今日の私は感じることが違う。
思い通りにいかないこともある。
辛いこともあるかもしれない。
それを 「 辛い、嫌だ 」 と思ってしまえばそれまでで、
それ以上のことは何も気付かなくなってしまう。
でも、それをいい方向に変えられるのは自分しかいないんだ。
バスに乗り遅れちゃったっていいじゃない。
雨が降ったっていいじゃない。
もしかしたら、そのおかげで綺麗な夕陽を見れるかもしれない。
もしかしたら、そのおかげで美味しい料理を食べられるかもしれない。
それが他の何でもなく、「 今 」 の自分に必要なことなんだから。
だから今日の、今の私は、出来るだけいい方向に進めるように
私に降り注ぐことをすべていい方向に捉えられるように
常に常に自分を磨き続けたいと思うのでした。
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Comment
すてきな街なんですね☆詩のようなぶんしょうからその感覚が湧き上がってきました☆今このときこの瞬間それを感じ、楽しむ。とても心にひびきました☆
22 Dec 2011 | shingo
shingoさん
「今」というこの瞬間は二度と来ないもんね。
言葉で言う以上に「今」っていう感覚はもっともっと大切なものだと思うんだー。
26 Dec 2011 | Sachi
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