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シャーマニズム体験・意識変化編

31 May 2011

前回のアヤワスカ体験は零意識という不思議な感覚を
垣間見ることができた。


アヤワスカが与えてくれたその世界が自分にとってどういう意味があるのかは
まだわかってはいない。



それでも、日々様々な煩悩を抱えながら生きている自分にとって
一瞬でもゼロ意識の世界を見せてくれたことに感謝している。






さて、3回目となる今回。


今までの中でも一番精神統一が出来ているのが自分でもわかる。
心の準備も身体の準備もしっかりと出来ている。


もはや、アヤワスカに対しての恐れはまったくないし、
吐くことへの嫌悪感もまるでない。


そしていつものように始まったセレモニー。
昂ぶる期待を胸に、飲み干したアヤワスカ。


身体を横たえ、アヤワスカが効いてくるのを待つ。


しばらくするといつものようなゾワゾワした感覚が
押しては返す波のように少しずつ現れてくる。


と、程なくして相方にはビジョンが訪れたようだ。
彼女が話せる状態になるのを待って聞いてみた。


詳しくは彼女の日記を見てほしいけれど、
アヤワスカが彼女に見せてくれたビジョンは要約すると


過去、自分が母の産道を通り、生まれた時のイメージ。
将来、2人の子供に恵まれて幸せな家庭を築いているイメージ。


自分がどんなに望まれて産まれ、どんなに愛されていたのか。
そして自分たちの子供が生まれるということがどんなに幸せなことなのか。


改めて、家族の大きな愛に気づき、この上ない幸せを味わったと
興奮しながら嬉しそうに、そして泣きながら話してくれた。


もう、この日はそれだけで充分だった。
アヤワスカは彼女に大切なことを教えてくれたのだから。
僕自身もそれが分かって、もう充分に幸せだった。


だから今日はもう安心して眠ることにしよう。
その日は吐くこともなく、平穏に幸せに寝ることができた。





sanIMG_2422.JPG






そして、迎えた最終日。


相方は前回のビジョンで充分に満足をしたので、最終回は一人シャーマンの家に残り、
最後のセレモニーを受けることになった。


正直な気持ち、せっかく時間をかけてジャングルの中まできて
このまま終わってしまったのではやるせない。


2回目の時、ビジョンを見ることは出来たが、
精霊と交信できる状態が整ったというレベルで
自分の求めるビジョンとは全く別のものだった。


生前の記憶、過去の封印されていた記憶、未来のビジョン、亡くなった人との会話。
みんなが体験したそういったビジョンを自分も見てみたかった。


思えば、僕は幽霊もUFOも見たことないし、ましてや超能力なんてまるでない。
現実を超えるような超現実の世界なんて見たこともない。


人一倍、そういったことに関心は強いけれど、
どこかで既成概念が邪魔してしまう。


それは多分、自分では無くなってしまう「畏れ」なのかもしれない。


でも、一方の自分ではそんなものも全てどこかへやってしまって、
自分を形づくっている殻から自由になってみたい、
そんな気持ちがあるのも確か。


そんなわけで、今回のセレモニーはかなりの覚悟を持って臨んでいた。






アヤワスカの精霊よ!


俺自身を超越させてくれ!






シャーマンも僕の意思を汲んでくれ、前回よりさらに多い量がグラスに注がれる。


願いを込めてそれを全部飲み干す。


期待を込めてビジョンに集中する。


それでも、そういった僕の願望が邪魔をするのか
なかなかビジョンは訪れない。


今日もダメなのか。。。


俺には見せてくれないのか。。。


ビジョンが見れないという不安が脳裏によぎる。


そうやってどのくらいの時が経っただろうか。










パッと赤ちゃんの映像が浮かんできた。










やっと浮かんできた映像をつかんで離さないように集中する。
この時、自問自答できるくらいに意識もはっきりしていた。










その赤ちゃんの映像は止まったままで
次のビジョンに変化する様子はない。


これが何を意味してるのか理解ができない。










なんだ?


なんなんだ?


赤ちゃんの映像を見ながら自問自答する。










ふと、その時に両親の顔が思い浮かんだ。


これはビジョンというより自分が赤ちゃんから連想をしていたんだと思うが
とにかく両親の顔が思い浮かんだ。






その両親の顔は幸せそうでとても嬉しそう。






これは俺なのか?






そう思った時、サチの顔が思い浮かんだ。


もうこれ以上ないってくらいに泣きじゃくっている。






悲しみ?






いや違う。










この時、わかった。










この子は生まれたての僕たちの赤ちゃん。










サチは出産の喜びと感動で泣きじゃくっていたのだ。










その後には、正直者でKYなうちの父が


「よくやったぞ、さっちゃん 」 「よし」と


いささかKYな発言をしているのがわかる。


母は「よかったね~、よかったね~」と


涙ぐみながら喜んでいる。


そしてサチの両親も。


お父さんは無言ではあるけれど


顔をほころばせて、満面の笑みでうんうんと頷いている。


お母さんもハンカチで目を押さえながら


「よかったね~」と声にならない声で・・


お兄さんたちも表情こそあまり変わらないものの


内心とても喜んでくれているのが分かる。


うちの姉は生まれたての赤ん坊をつんつんしながら


「かわいいね~、私のことわかる??」とすでに話しかけている。














幸せ。














このうえない幸せ。










子供が産まれるという事が、僕たちだけでなく


どんなに周りの人を幸せにするのか。


そしてきっと僕たちもこの限りない愛の中に包まれてこの世に誕生し、


周りの人をどんなにか幸せにしたんだろう。


生まれてきてよかった。


ありがとう。


そして今まで育ててくれた両親、家族、友人その全てに感謝の気持ちでいっぱいだった。


この気持ちを一人一人に伝えたい。


そこからは、子供がいる親友の家族を始め、
幸せな家庭を築いている友人たちの姿が思い浮かんでくる。


そしてその幸せが手に取るように伝わってきて


かけがえのない至福の時を味わうことができた。








実はセレモニーを受ける前、僕が一番見たいと思っていたのは、
自分が何をなすべきかということ。


その時は、どういう仕事をすることで自分という人間を社会に還元できるか?
そういうビジョンが見たいと思っていた。


実際のところ、それは仕事ではなかったけれど、
アヤワスカはもっともっと大事なことを教えてくれたような気がする。








この世に産まれてくる我が子を限りない愛情で迎えること。










それが一番大切なこと。










そういった気持と環境が整っていれば、
どこに住もうが、何をしていようがまるで関係ない。


もうこのビジョンが見られたおかげで、
今までの自分の人生をさらに肯定する事が出来たし、将来の不安もまったくない。






どうやったって生きていける。


自分のなすべきことはひとつ。


それがわかったのだから。




sanIMG_2405.JPG

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